三輪山での出会いと理想の手
自宅から、国道169号線を車で20分、南下すると大きな鳥居が姿を現します。
この鳥居が、三輪参道入り口になります。
参道を上ると、古くから神様の中の大神様として尊ばれている「大神神社」(おおみわじんじゃ)があり、国造りの神様として、世の中の幸福を増し進めることを計られた人間生活の守護神として尊崇されています。
「朔日詣り(ついたちまいり)」をしていた時に、過呼吸発作に見舞われた女性を救護したことがあります。
そのご縁で、定期的に通院されています。
その方が初診時に、来院理由を述べられた言葉が、私の理想とするものなのです。
知り合ったきっかけ
子供と参道を散歩していた時に、男性(ご主人)が女性を介抱している場面に遭遇。
ちらっと、女性の顔を見ると息苦しそうにしていたので、「過呼吸ですか?」と声をかけると「はい。そうです。暫くすると治まるかと…」
自然とカラダが動いて、女性の背中をさすりながら、息をゆっくり吸って、ゆっくり吐いて、もう一度吐いてを数回繰り返しました。
呼吸のリズムが整ってくると徐々に落ち着き、会話もできる状態になりました。
自己紹介を交えながら、手短にアドバイスを行い、その場を離れました。
うれしかった言葉
2か月後、その女性が治療を受けたいと来院。
その後の経過や来院理由を尋ねました。
私「その後、どうでしたか?」
女性『あれからは落ち着いています』
私「良かったですね。治療を受けたいとは?」
女性『背中を擦ってもらって凄く安心して、やすらぐような感じがしました。また、擦って頂ければ発作が出ないような気がして来ました』
この言葉はうれしかったです。私が追い求めている理想とする手なのです。
理想とする手
この世界に入ったキッカケの一つに、やすらぐような手の存在があったからです。
師匠の治療所に患者として、初めて施術を受けたときに背中に感じる手が、ものすごく気持ちよく安心できる手だったのです。
この手を持つような存在になりたいと思うようになり、弟子入りをしました。
まだまだ、この領域には達していませんが、少しは安心できる手に育ったかなと思った瞬間でした。
“治したいと思う心”と“治せる技”と“治せる自信”が重なり合って、手から発せられる安心感に繋がっているものだと思っています
その為には、日々の研鑽を積むことが大事です。
安心できる手・やすらぎの手を理想とする“療術師”でありたいものです。
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